なぜ福岡で開業しようと思ったのか?前編
- 2022年7月30日
- 重要
2019年以来、3年ぶりに長期の夏休みをもらいましたので久々の投稿です😄
夏休み明けから早々にハイパーなスケジュールで、休み明けに製薬会社でのレクチャー、定期の沖縄中部徳洲会病院IBD専門外来です😊
ところで、7月のブログのランキング1位は何と思いますか?(求人関連を除いて)
実は『とりあえず一通り全部やってみる』だったという衝撃の事実😅
内容は外車の売却、チャリの輪行、カーシェア、起業へのメンタル修行(まこなり社長)など🙃
やっぱり講演会やクリニック建設などよりも、自分がどんな人間なのか
またドン底からの這い上がる話の方が、皆興味があるという事ですね😂
でも、ドン底から這い上がるエピソードっていいですよね😄
では今回の内容は地の底から這い上がるエピソードにしてみようと思います😊
そもそもなぜ福岡で開業しようと思ったのか?
自分は福岡県福岡市の出身です(南区ではなく東区の和白病院の近く)
和白東小学校→和白丘中学校→香住ヶ丘高校
そういえばどうでもいい自慢ですが、中学校時代は軟式テニスで東区制覇しました😆
2020年に福岡に自宅建設を決めて、今の場所に開業を決めるまでは本当に色々ありました😅
まず、大阪から福岡に帰るためのプランを考えてみました。
①とりあえず自宅近くの病院に勤務する
南区寺塚周辺には九州中央病院、福岡日赤病院、天神の済生会総合病院、そして古巣の福岡徳洲会病院
他県からの転勤であれば、普通はその地域で診ていた患者は誰かに託して、転勤、開業予定地の病院に勤務、それから数年経ってから開業を考えるというのが典型的だと思います。
岸和田徳洲会病院の消化器内科は全国的にみても相当有名なので、多分福岡でも高待遇で雇ってもらえたと思います。
しかし、なぜそれを魅力に感じなかったのか?
それは、今診察しているIBDの患者、約300人を誰かに託そうと思えないからです😅
前のブログにも書きましたが、この300人の患者さんとは本当に様々な出会い、思い出があります。
IBDのような難病の方に限らず、何年も自分の外来に通っていただいている患者さんとの出会い、思い出はそう簡単に割り切れるものではありません。
高血圧や糖尿病一つにしても全く同じで出会いは本当に様々です。
医者を長くやっていると他人の人生に寄り添える奥深さ、使命感には大きく感情が動かされます。
この“感情”と言うのは、時に大きな力を生み出します(ここはまこなり社長から教わりました)
果たしてこの運命的な出会いが多かった難病300人を誰かに託してでも魅力的な病院は福岡に存在するのか?
最終的には役職や給料が大事なのか?
単身赴任をしてまで大阪に残った理由は何だったのか?
結局自分は何がしたいのか?
とにかく自問自答する日々が続きます‥😓
最終的な結論は、待遇や安泰よりも難病300人の診察を継続できる手段を模索しました。
出した結論は、300人をフォローしながら福岡と行き来するには、水曜を毎週休みにする、そしてIBDを含め自分が大阪で学んだ内科領域、最先端の内視鏡治療を発揮できる環境は、もう自分のクリニックを一から作るしかないと考えました😆
②今流行りの医院継承はどうか
現在は様々な理由で閉院するクリニックも多く、院長先生自身の病気や、後継者不足などが深刻になってきています。
新規で医院開業にはそれなりにリスクが伴いますので、大阪から福岡で開業する際にまず考えたのは閉院する予定の医院のM&Aを考えました。
しかし残念ながら、継承を検討する既存のクリニックのほとんどは昭和の旧世代システムです‥
様々な物件を見ても、閉院する/した既存クリニックで、自分が理想とする環境を作るのは困難と感じました。
それでも、何とか福岡へ帰る希望を持って、2020年の年末に福岡市のクリニックのM&Aは最終候補まで残りましたが、結局破談となり、福岡へ帰る道は閉ざされました‥
その後も
・大野城市の物件も破談‥
・那珂川の物件も破談‥
・荒江の物件も破談‥
・東区のテナントも破談‥
・天神の継承も破談‥
破談になるたびに、家族の待つ福岡に帰る道が閉ざされ、単身赴任で孤独に奮闘するメンタルは徐々に壊れていく‥
次回後編に続く‥
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