ラオウとケンシロウ
岸和田徳洲会病院のカリスマ副院長
井上副院長(ラオウ)と
岸和田のエース星川先生(ケンシロウ)
最高の師匠と愛弟子がわざわざ大阪から大腸カメラを受けにクリニックに来ていただきました❗️
この二人とは本当にたくさんの思い出があります。
井上先生とは福岡徳洲会の初期研修時代にERで知り合い、自分の医者人生の全てを変えてくれた最高の師匠です❗️
実は一度は諦めた岸和田への道
研修医2年目、当直中にERにいた坂元先生から内視鏡やりたいなら、岸和田に行けと
すぐ井上先生へ連絡をとってもらい
岸和田徳洲会に見学へ
最先端の医療機器と技術で、日本一の内視鏡チームを作りたいから一緒にやろう❗️
とにかく熱く勧誘されました
本当は最初から岸和田に行きたかったはずなのに
研修終了後の4月に長男が産まれるのでどうしても福岡から出れないので大阪は厳しいですと断りました。
初期研修が終わって、内視鏡とは別の科を選び、大学に入局しました。
しかし数日で自分のやりたい事、居場所はここじゃないとやっと気づきました。
改めて内視鏡をやりたい気持ち、そして井上先生への憧れ、カリスマ性に気づきました。
28年間福岡から出た事がなかった自分
結局は家族を理由にして、福岡から飛び出す勇気がなかっただけ
大学入局3日目に井上先生に電話
自分「どうしたらいいですか?」
井上先生「もうあかんわ、もう今すぐ辞めろ!」
「大阪に来い!そして一緒に全国飛びまわろう!」
3日で辞める決意、医者業界ではどう考えても前代未聞、前例はありません
大学の歓迎会直前、そして長男が産まれる前日
出産直前の妻にすまん、やっぱり大阪行くと
教授にすみません、辞めますと
長男が産まれた日に、お互いの両親に大阪に行きますと
大学の同期達には
は?何考えてんの?ふざけてんの?
研修医時代の同期、福岡徳洲会の先生方には
たった3日で!?アホや~と言われ
大学の指導医達の全員からほぼシカト
その他周りからは散々言われ
人生のどん底にいました
しかし、どんだけどん底に落ちても
他人にどれだけ誹謗中傷されても
たった一人、井上先生だけを信じて
不甲斐ない自分を変えたい
福岡しか知らない事がずっとコンプレックスだった
自分が見た事がない世界を見たい
日本一の内視鏡チームに入りたい
そんな一心で大阪へ
だれよりも内視鏡を頑張り、気がつけば10年
当時は12-3人の内視鏡医でしたが、今では常勤も非常勤合わせて40人を超える徳洲会最大の内視鏡チームになりました❗️
さすがに井上先生には敵いませんでしたが
とにかく誰よりも全国を飛び回りました❗️
北海道、東京、千葉、岐阜、兵庫、和歌山、広島、愛媛、福岡、鹿児島、奄美大島、徳之島、喜界島、与論島、沖永良部、沖縄本島、宮古島、石垣島
調子に乗っている時には厳しく怒られ
スランプの時は、沖縄で井上先生から直々に指導してもらったり、ESDが夜中0時超える時は夜中でも助けてもらったり
そして離島への想いを教わったり
今回も翌日帯広でESD6件も控えているのにわざわざ福岡まで来て頂きました❗️
本当にありがとうございます❗️
星川先生との出会いは奄美大島
神奈川の湘南藤沢の2ヶ月の離島研修で奄美大島に来ていた星川先生
当時から内視鏡が上手く、最高の人柄と責任感の強さから関東圏を始めあちこちから勧誘を受けていました。
初見で金の卵、いやダイヤモンドの卵
研修医の中でも明らかに逸材
星川先生が加入する事で、岸和田は大きく変わる
星川先生を勧誘するために何度も何度も井上先生と東京へ
主人公の星川先生は岸和田に来る条件を出しました
「他の先生は嫌だ!とにかく2人に内視鏡を習いたい!」
ここから始まる一子相伝、門外不出の内視鏡技術の伝授がスタートしました。
まさに北斗神拳
星川先生(ケンシロウ)は井上先生(ラオウ)や自分の技術を受け継ぎ、今や自分を超え、井上先生に追いつく勢い
自分のERCPやESDの技術、そしてIBDの知識の全てを伝授しました
星川先生の技術を見て岸和田に入りたいと言う人も多く、完全に岸和田のエース的存在
そんな星川先生も帯広に行く直前、福岡にわざわざ来て頂きました❗️
本当にありがとうございます❗️
P.S.
水曜休診にしてまで岸和田に行くもう一つの理由
2人とは一生繋がっていたいからに決まってるじゃないですか😄
これからもよろしくお願いします❗️